男の私が思う事だが、
全ての男性を代表しての意見ではないので、
あしからず、最初にお断りしておきたい、
あくまで私見である。
それは、靴の広告を目にしての意見である。
広告に載る「男の靴」は大抵黒である。
茶も少しは載る。
それだけである。
「つまらない」と私は憤慨する。
私には靴に関して苦い経験がある。
何度か経験したので、
今は対策を立てているが、万全とは言えない。
どんな経験か。
取り違えられるのである。
相手は私が取り違えたと主張するかも知れないが、それはない。
私は自分の持ち物に強いこだわりを持っている。
自分から間違えたりすることなど、決してあり得ない。
あり得ないはずだ、あり得ないと思う。
いささか不安は残る。
それ位、男の靴は似ているのだ。
例えば、呑み会に出席する。
20人ぐらいで、座敷の宴席だとする、
あがりがまちの下には20足の黒い革靴が並ぶ。
サイズの違いは見た目には判らない。
同じメーカーの同じデザインが並ぶ事だって、珍しくない。
脱いだ場所を覚えてはおく、だが宴席だ、酒が入る。
人は酒が入ると判断力が鈍る。
かくして取り違いが起こるのである。
仲居さんが並び替えた日にゃ、悲劇は同時多発する。
こんな事を書くと、女性は笑うだろうな。
女性の靴の広告は華やかである。
色とりどり、デザインも色々、ハイヒールにパンプスにブーツに・・・
しかるに、男のそれは大抵黒である。
だから、私は憤慨する。
憤慨するものの、グリーンの革靴が売っていたとしても、私は買わない。
世間中の男も買わない。だからそんな靴は作られない。
売れないものが作られないのは、仕方のない事である。
しかしながら、取り違えは靴だけで起こる悲劇ではない事をお伝えしておきたい。
信じがたい事だが、背広でも起こるのだ。
本当である。冬ならコートで起こる。
背広の比ではない、多発している。
生涯、取り違えに気付かない輩もいる位だ。
ああ、女性が羨ましい。
女性は自由にお洒落が出来ていいな!
これも私見である。
私が小さい頃、姉がバレーを習っていた。
私は姉が羨ましかった。
厳密にいうと、淡いブルーのチュチュが着られる姉が羨ましかった。
そこで私は、隠れてチュチュを着て、一人悦に入っていたのを覚えている。
そんな私だから、私見であると言い切れる。
私は健全な男子なので、
わきまえたお洒落をする。ネクタイである。
どういう訳か、ひとは私のネクタイのセンスを派手と言う。
失礼な話である。
上記の色彩への憧れを知れば、納得するはずであるのだが、
ひとはそれを知らない。
そんな私が、家具の販売に携わる様になった。
私は木が好きである。生い茂る木々が好きだ。
いつか縄文杉に会いに行きたい。
日立の木も見てみたい。木製品も好きだ。木の温もりが残っている気がする。
木といっしょに暮らしたいと思う。
当然、木で出来た家具が好きである。
だからこの仕事に就いた。
そんな私が思う事である。
椅子にお洒落をさせたい。
世の中には素敵なファブリックがいっぱいある。
素敵なファブリックを身にまとう、
世界に一脚しかない椅子をお客様に届けたい。
今は、そんな事を考えて、一人悦にいる私である。