思い出を紡む

不思議な事がある、
取り立てて話すほど不思議な訳ではないが、
個人的には興味深い 「?」 である。
でも、もしかしたら、ごく普通なことかも知れないが・・・

それは、私が小学校の低学年、あるいは幼稚園の頃、
その頃に我が家で使っていたカーテンや布団の柄を、
今も覚えていると言う事である。

なぜその柄がその頃の物と分かるかというと、
当時住んでいた家の、
部屋の様子と共に覚えているからである。

とりわけ気に入っていた柄ではない。
クリーム色の地に、数種類の茶色の水差しが描かれていたカーテン、
赤い牡丹の花が描かれた布団。

幼い頃の記憶をほとんど忘れている私が、
なぜこんな物を覚えているのだろう?
さらに不思議なのは、
この記憶が、幾度と無く、唐突に思い起こされる点だ。

実は、今朝方、この原稿の構想を考えながらボーとしていたら、
また思い出してしまった。
考えていた事と接点があるとすると、 「昔」 が共通項である。

「昔」・・・それは、私が小学生の時見た、テレビのワンシーンである。
何組かの家族が出演して、それぞれの家のライフスタイルを話していたと記憶している。

その時、一組の家族が、
「我が家では白い皿しか使わない、それも出来る限り使う枚数を少なくしている」
と話していた。
確か、それが合理的で近代的である、未来派である旨の事を言っていたと思う。

その時、子供心に、それは間違っていると思った。
未来はそんなに味気無くは無いだろうと考えた。
なるほど・・・大したものだ、今もそう思う。

しかし、スタートレックである。
SFのスタートレックである。

スタートレックのファンには異論もあろうが、
あの映画に出てくる主人公の服装は未来派である。
体にピッタリフィットして、色使いはシンプルである。
宇宙船内の壁も床もシンプルだ。

「うーむ」 と考え込む。

確かに、・・・理由などないが・・・
未来の人はもの凄く合理的で、
機能性を唯一無二の判断基準にしているに違いない気がする。
だから、
着る服も、使う食器も機能第一にシンプルな気もする。

花柄のひらひらしたスカートなんて、絶対にはかない。
ボーンチャイナの絵付けした皿なんて絶対使わない・・・
なんとなく、そういう想像をしてしまう自分がいる。

その意味、未来派を目指す家族が、白のお皿しか使わない宣言は的を射ている。
しかし、実際の未来は、そんな想像を超えて華やかに違いないとも思う。
もっと自由で、皆がそれぞれ個性的なお洒落を楽しんでいるに違いない。
たとえ宇宙船の中でもだ。

未来は私の空想を遙かに超える。
携帯電話がそうだった。
カーナビがそうだった。

それはさておいて、家具の話。
モダンスタイルと呼ばれる家具がある。
モダンとは近代的、今風でしゃれていることの意味である。

白黒を基調にした家具がある。
時としてそれらをモダンスタイルと呼ぶことがある。

しかしながら、
あくまで個人的な考えだが、
それを私は 「近代的」ではなく、「未来的」と感じている。
先の話と重なるからである。

ところで、
私は、思い出を紡ぐ家具を販売したいと願っている。
つまり、
家族の成長の傍らに、長い時間を共にする家具を売りたいのだ。

大きくなった子供に父親が語りかける。
「覚えているかい? この椅子はね、お前が小さかった時・・・」
なんてね。

長い間に、その家具が無くなってもいてもいいけど、
思い出の中に出てくるような家具を販売したい。
私のように、何の脈絡もなく思い出すもいい。
何かの出来事と共に思い出すもいい。

ただ、その時、思い出すシーンは色が付いていて欲しいと願っている。

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